詩人、野口雨情

竜ケ崎小唄

粋な鶯竜ケ崎町へ
サテ梅は咲かずも来てとまる
逢ひに来たのかわたしにちよいと
モダン竜ケ崎アリントアリントサ
(第二聯以下囃子詞省略)

繭の出どころお米の出どこ
別れ惜しけりや来ぬ所
帰しやしないよわたしはちよいと

富士はなつかし筑波はいとし
どちら向くにも身は一つ
困りましたよ私はちよいと

子安観音悋気(りんき)はおよし
二人連れでも恋ぢやない
可愛子故にわたしもちよいと
江川螢はありや気が多い
日さへ暮れればそはそはと
ほんにそうだよわたしもちよいと
  
たまにや気ばらし新利根川へ
ゆこよ行ましよよ魚釣りに
舟も漕ぎませう私がちよいと

枝垂桜に色香がなくば 
般若院さへ名は出ない
捨てちやいやだよわたしをちよいと


竜ヶ崎小唄について

竜ヶ崎小唄保存会パンフレットより抜粋

茨城の生んだ民謡詩人野口雨情が各地を廻って郷土民謡を制作している最中の昭和初期に、竜ヶ崎町(当時)を訪れて、その当時の情景を情緒豊かに作詞され、藤井清水作曲で昭和7年2月2日に発表された郷土民謡であります。・・・ 
この民謡は小唄調に唄う民謡で、全部で七番まであります。
歌詞の最後の部分に「モダン竜ヶ崎ァリントリントサー」とありますが、これは町の中心部に当時としては大変派手な「大正座」と云う劇場があり、その周辺に軒を並べる商家の前を芝居見物のモダンに着飾った娘さんたちが行き交う様子、またその頃活況を呈していた竜ヶ崎木綿の機織りの音が各家々から聞こえてくる情景を連想させます。 
「リントリントサ」は機織りの音を擬音化したものです。 
「まゆの出どころお米の出どこ」とありますのは当時この町にはまゆの集荷所があったこと、米どころであったことを詠んでおります。 
安産守り神として振興を集める茨城百系の一つである「観音様」即ち「子安観音」や、樹齢七百年と云われる般若院の枝垂桜、釣りの名所新利根川、町の憩いの場所として親しまれた「江川」、そしてそのほとりに華やかな夢をあたえてくれた蛍火当時を知る人達には懐かしさと恋しさとが込み上げてきそうな唄であります。 


竜ヶ崎小唄に詠みこまれた風景

竜ヶ崎観光協会提供


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