販売図書目次一覧
北茨城市史 上巻
自然環境にはじまり、原始、古代、中世、近代の各編をおさめ、巻末に略年表を付してあります。本文は先土器時代から明治四年の廃藩置県までを記してあります。
第一編 | 自然環境 | 第一章 | 北茨城市の地形 |
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第二章 | 北茨城市の地質 | ||
第三章 | 北茨城市の自然的生立ち | ||
第四章 | 北茨城市の気候 | ||
第五章 | 自然環境と生活 | ||
第二編 | 原始 | 第一章 | 先土器文化と細原遺跡 |
第二章 | 縄文文化の繁栄と北茨城地方 | ||
第三章 | 弥生文化の展開と足洗遺跡 | ||
第三編 | 古代 | 第一章 | 古墳文化と多珂国造 |
第二章 | 国境の港と勿来関 | ||
第三章 | 蝦夷征討と天台宗 | ||
第四編 | 中世 | 第一章 | 佐竹氏の興起と夢窓国師 |
第二章 | 大塚氏と多珂郡の名主団 | ||
第三章 | 乱世における車・大塚両氏の活躍 | ||
第四章 | 車・大塚氏の唐入と知行替え | ||
第五章 | 信仰と生活 | ||
第五編 | 近世 | 第一章 | 岩城氏の没落と戸沢氏の支配 |
第二章 | 水戸藩、棚倉藩の支配と北茨城地方 | ||
第三章 | 近世前期の村むら | ||
第四章 | 産業と交通、運輸 | ||
第五章 | 近世後期の村むらと文化の興隆 | ||
第六章 | 大津浜異人上陸 | ||
第七章 | 天保期の北茨城地方 | ||
第八章 | 幕末維新期の北茨城地方 | ||
北茨城市史略年表 |
北茨城市史 下巻
近代、現代および各説をおさめ、巻末に略年表を付してあります。
本文は明治四年の廃藩置県から昭和六十年前後までを記してあります。
第六編 | 近代 | 第一章 | 明治前期の北茨城地方 |
---|---|---|---|
第二章 | 明治後期の北茨城地方 | ||
第三章 | 小学校の創設と教育の普及 | ||
第四章 | 日露戦後・大正期の農村と政治、社会 | ||
第五章 | 昭和初期の北茨城地方 | ||
第六章 | 石炭産業の変遷 | ||
第七章 | 水産業の発達 | ||
第七編 | 現代 | 第一章 | 戦後の復興と諸改革 |
第二章 | 戦後の石炭産業 | ||
第三章 | 現代の北茨城と市民の課題 | ||
第八編 | 各説 | 文化財一覧・碑文等 | |
北茨城市史略年表 |
図説 北茨城市史
北茨城市の歴史を、図や写真などの史料をを数多く取り入れ、わかりやすく解説してあります。
序章 | 北茨城の自然環境 |
---|---|
第一章 | 原始の北茨城 |
第二章 | 古代の北茨城 |
第三章 | 中世の北茨城 |
第四章 | 近世の北茨城 |
第五章 | 近現代の北茨城 |
松岡地理誌・村明細帳(市史別巻2)
一 | 松岡地理誌 | 水戸藩の附家老中山氏の知行地である松岡(現在の高萩市一部と北茨城市の一部)27ケ村7新田それぞれの村の状況を文化二年頃から文化七年にかけて記したものである。 |
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二 | 村明細帳 | 棚倉領(北茨城市平潟・関本中・八反・山小屋・才丸・山小川・神岡下)の7ケ村、相給地では二給支配地(関本上)五給支配(福田・花園・臼場・下相田・小豆畑・上小津田)の六ケ村、天領の下小津田の計15ケ村23冊の村明細帳を収録している。 |
石炭資料Ⅰ(市史別巻3)
北茨城市域の江戸時代末期から大正初期までの石炭産業に関する史料を収録
i | 草創期の石炭産業 |
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ii | 発展期の石炭産業 |
石炭資料Ⅱ(市史別巻4)
北茨城市域の第一次大戦から炭鉱閉山までを繁栄期、衰退期の二部構成で収録
iii | 繁栄期の石炭産業 |
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iv | 衰退期の石炭産業 |
勝一日記Ⅰ(市史別巻5)
野口勝一
現在の北茨城市磯原町に生まれた野口勝一は、明治時代に政治家、ジャーナリスト、出版人として活躍した人物です。
自由民権運動家、茨城県会議員『茨城日日新聞』の社長兼主筆と茨城県内での活動から離れ上京し、農商務省に勤務しました。その後、衆議院議員を三期つとめた後、政治経済などの新聞や雑誌の編集出版活動を行っています。
また、勝一は弟量平の息子である野口雨情にも大きな影響を与えた人物です。
北茨城市史 別巻5~8に収録されている日記は、農商務省に初めて出任した明治16年8月13日からはじまっています。衆議院議員として活躍していた時期(明治25年~35年)の日記は欠落していますが、当時の社会・政治・経済・文化と多岐にわたる内容に驚かされると共に、多くの来訪者と訪問先が記録されており、その交友関係の深さには驚かされるばかりです。
一 | 明治十六年八月~同十七年十二月日記 |
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二 | 明治十八年一月~同年十二月日記 |
解説 | 野口勝一の生涯(一) |
勝一日記Ⅱ(市史別巻6)
野口勝一
現在の北茨城市磯原町に生まれた野口勝一は、明治時代に政治家、ジャーナリスト、出版人として活躍した人物です。
自由民権運動家、茨城県会議員『茨城日日新聞』の社長兼主筆と茨城県内での活動から離れ上京し、農商務省に勤務しました。その後、衆議院議員を三期つとめた後、政治経済などの新聞や雑誌の編集出版活動を行っています。
また、勝一は弟量平の息子である野口雨情にも大きな影響を与えた人物です。
北茨城市史 別巻5~8に収録されている日記は、農商務省に初めて出任した明治16年8月13日からはじまっています。衆議院議員として活躍していた時期(明治25年~35年)の日記は欠落していますが、当時の社会・政治・経済・文化と多岐にわたる内容に驚かされると共に、多くの来訪者と訪問先が記録されており、その交友関係の深さには驚かされるばかりです。
三 | 明治十九年一月~同年九月日記 |
---|---|
四 | 明治十九年十月~同二十年五月日記 |
五 | 明治二十年五月~同年十一月日記 |
六 | 明治二十年十一月~同二十一年四月日記 |
解説 | 野口勝一の生涯(二) |
勝一日記Ⅲ(市史別巻7)
野口勝一
現在の北茨城市磯原町に生まれた野口勝一は、明治時代に政治家、ジャーナリスト、出版人として活躍した人物です。
自由民権運動家、茨城県会議員『茨城日日新聞』の社長兼主筆と茨城県内での活動から離れ上京し、農商務省に勤務しました。その後、衆議院議員を三期つとめた後、政治経済などの新聞や雑誌の編集出版活動を行っています。
また、勝一は弟量平の息子である野口雨情にも大きな影響を与えた人物です。
北茨城市史 別巻5~8に収録されている日記は、農商務省に初めて出任した明治16年8月13日からはじまっています。衆議院議員として活躍していた時期(明治25年~35年)の日記は欠落していますが、当時の社会・政治・経済・文化と多岐にわたる内容に驚かされると共に、多くの来訪者と訪問先が記録されており、その交友関係の深さには驚かされるばかりです。
七 | 明治二十一年四月~同年十二月日記 |
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八 | 明治二十二年一月~同年七月日記 |
九 | 明治二十二年八月~二十四年二月日記 |
十 | 明治二十四年三月~同年八月日記 |
十一 | 明治二十四年九月~同年十二月日記 |
解説 | 野口勝一の生涯(三) |
勝一日記Ⅳ(市史別巻8)
野口勝一
現在の北茨城市磯原町に生まれた野口勝一は、明治時代に政治家、ジャーナリスト、出版人として活躍した人物です。
自由民権運動家、茨城県会議員『茨城日日新聞』の社長兼主筆と茨城県内での活動から離れ上京し、農商務省に勤務しました。その後、衆議院議員を三期つとめた後、政治経済などの新聞や雑誌の編集出版活動を行っています。
また、勝一は弟量平の息子である野口雨情にも大きな影響を与えた人物です。
北茨城市史 別巻5~8に収録されている日記は、農商務省に初めて出任した明治16年8月13日からはじまっています。衆議院議員として活躍していた時期(明治25年~35年)の日記は欠落していますが、当時の社会・政治・経済・文化と多岐にわたる内容に驚かされると共に、多くの来訪者と訪問先が記録されており、その交友関係の深さには驚かされるばかりです。
十二 | 明治三十一年一月~同年九月日記 |
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十三 | 明治三十一年九月~同三十二年八月日記 |
十四 | 明治三十二年八月~同三十三年五月日記 |
十五 | 明治三十三年五月~同三十四年九月日記 |
十六 | 明治三十四年十月~同三十五年八月日記 |
十七 | 明治三十五年八月~同三十六年四月日記 |
十八 | 明治三十六年四月~同三十七年六月日記 |
十九 | 明治三十七年六月~同三十八年九月日記 |
解説 | 野口勝一の生涯(四) |
港関係資料(市史別巻9)
「港関係史料」として、江戸時代より今なお続く漁業基地としての北茨城市を紹介する史料を収録
一 | 港の風景 |
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二 | 物流記録 |
三 | 漁業関係 |
四 | 破船関係記録 |
五 | 洗濯屋関係記録 |
六 | 鮑産業・加工 |
七 | 水産団体 |
八 | 港湾・諸施設 |
九 | 水産教育・講習 |
一○ | 漁況・漁村生活 |
一一 | 経済更生計画 |
一二 | 戦時下 |
一三 | 海難・救恤 |
一四 | 漁業関連諸問題 |
一五 | 漁業功労者 |
北茨城市壇
先人の遺跡を訪ね、祖先の遺業を明らかにし、貴重な文化遺産を後世に伝えることの責務として創刊されました。
市壇no. | タイトル | 著者 |
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創刊号 | 市史編さんへの期待 | 柴田 章 |
大津浜異人上陸の歴史的意義 | 瀬谷義彦 | |
田村麿呂・慈覚大師伝説と天台宗 | 志田諄一 | |
『風船爆弾』余録 | 鈴木俊平 | |
近世北茨城市の支配の変遷 | 江尻光昭 | |
北茨城市内の縄文遺跡 | 瓦吹 堅 | |
北茨城地方の天明、天保の飢饉について | 小松徳年 | |
西丸帯刀研究覚書(1) | 宮澤正純 | |
関南村における県是実行について | 安 典久 | |
[研究ノート]北茨城地方の近世入会権の確立について | 橘 松寿 | |
市史編さん日誌(1) | ||
第二号 | 雨情先生の童心人生 | 泉漾太郎 |
輪王寺宮の平潟上陸とその意義 | 瀬谷義彦 | |
常陸の貴種流寓伝説 | 志田諄一 | |
北茨城市の弥生遺跡-足洗遺跡を中心として- | 瓦吹 堅 | |
その後の車氏について-新庄藩家臣好間氏の系譜」 | 江尻光昭 | |
「安良川組艦」にみる松岡領の村々 | 橘 松寿 | |
徳川斉昭の社寺改革と天妃社 | 小松徳年 | |
西丸帯刀研究覚書(2) | 宮澤正純 | |
新聞に野口勝一を追う(上) | 安 典久 | |
市史編さん日誌(2) | ||
第三号 | 北茨城地方の郷土について(上)-水戸藩郷士制の中で- | 瀬谷義彦 |
風船爆弾と関東軍第731細菌戦部隊の危険な関係についての考察 | 鈴木俊平 | |
大奈母知・少比古奈神と常陸 | 志田諄一 | |
北茨城市の土師遺跡 | 瓦吹 堅 | |
北茨城の四季諷詠 | きくちつねこ | |
戊辰の役と官軍の墓 | 菊池 半 | |
東江柴田愿恭について | 江尻光昭 | |
石炭採掘草創期の一史料 | 橘 松寿 | |
「松岡焼」について | 小松徳年 | |
王造勢と野口正安 | 宮澤正純 | |
35の村から北茨城市へ(その1)-町村合併の動きと北茨城市誕生の過程- | 鳥居俊夫 | |
新聞に野口勝一を追う(中) | 安 典久 | |
市史編さん日誌(3) | ||
第四号 | 北茨城地方の郷土について(中)-水戸藩郷士制の中で- | 瀬谷義彦 |
雨情さん故郷へ還る-雨情生誕百年祭- | すぎのめときお | |
常陸の磯に出現する神 | 志田諄一 | |
風船爆弾放流40周年に想う | 鈴木俊平 | |
北茨城市内の古墳と横穴 | 瓦吹 堅 | |
重々院祐謙と大塚青嶂について | 江尻光昭 | |
史料でみる江戸中期の年中行事-正月を中心として- | 橘 松寿 | |
近世後期平潟港における商品流通-斎田塩の移入をめぐって- | 小松徳年 | |
「成破の盟約」の影響 | 宮澤正純 | |
35の村から北茨城市へ(その2)-町村合併の動きと北茨城誕生の過程- | 鳥居俊夫 | |
市史編さん日誌(4) | ||
第五号 | 北茨城地方の郷土について(下の1)-水戸藩郷士制の中で- | 瀬谷義彦 |
磯出の神事と水戸藩の宗教政策 | 志田諄一 | |
「風船爆弾放流地跡・わすれじ平和の碑」の意義 | 鈴木俊平 | |
平塚八太夫の航路 | 佐藤次男 | |
鷹岡八幡宮再造記 | 菊池 半 | |
大津廃寺跡発掘調査概報 | 瓦吹 堅 | |
平潟洞門の開通 | 江尻光昭 | |
史料でみる江戸中期の年中行事(2)-2月~6月を中心として- | 橘 松寿 | |
近世北茨城地方の寺院について | 小松徳年 | |
水戸藩附家老中山家の独立運動の影響 | 宮澤正純 | |
35の村から北茨城市へ(その3)-町村合併の動きと北茨城市誕生の過程- | 鳥居俊夫 | |
新聞に野口勝一を追う(下) | 安 典久 | |
市史編さん日誌(5) | ||
第六号 | 北茨城地方の郷土について(下の2)-水戸藩郷士制の中で- | 瀬谷義彦 |
中世浜街道の雑芸能の徒-赤浜妙法寺過去帳を読む | 志田諄一 | |
続 北茨城の四季諷詠 | きくちつねこ | |
雨情に会いそこなった話 | 緑川利一 | |
[人物紹介]朝日一貫斎について(その1) | 江尻光昭 | |
徳川光圀の社寺改革と北茨城地方の寺 | 小松徳年 | |
北茨城市の陶器窯跡と窯道具について | 瓦吹 堅 | |
幕末維新期における北茨城地方沿革について | 宮澤正純 | |
[史料紹介]宝年四年の上相田村「諸事書上帳」 | 野上 平 | |
[史料紹介]「安良川組艦」抄 | ||
市史編さん日誌(6) | ||
第七号 | 北茨城地方における安政5.6年のコレラ病の流行 | 小松徳年 |
元治元年水戸藩民衆の動向 | 宮澤正純 | |
棚倉藩における農民負担の諸形態-北茨城地方を中心として- | 野上 平 | |
延享4年銘関本上村絵図と寺院 | 瓦吹 堅 | |
北茨城市の自然環境調査と地図 | 佐藤惣一 | |
『北茨城市史』(下巻)を読んで | 佐藤次男 | |
[史料紹介]平潟の商人菊池半兵衛筆「時運豊凶善悪記」(1) | ||
市史編さん日誌(7) | ||
第八号 | 北白川宮を祀る官社創建をめぐって | 瀬谷義彦 |
常陸五山と蛇・猿の伝承 | 志田諄一 | |
水戸藩庄屋制度の成立過程 | 野上 平 | |
『風船爆弾』追記 | 鈴木俊平 | |
古代常陸国多珂郡の郷について-粱津・高野・新居・賀美郷を中心として- | 久信田喜一 | |
[人物紹介]朝日一貫斎について(その2) | 江尻光昭 | |
茨城県北部の土偶 | 瓦吹 堅 | |
史料でみる江戸中期の年中行事(3)-7月~12月を中心として- | 橘 松寿 | |
水戸藩附家老中山家の動向 | 宮澤正純 | |
背踏城跡(御城山)調査報告 | 加藤光雄 有賀博幸 |
|
『北茨城市史』(上巻)を読んで | 佐久間好雄 | |
[史料紹介]平潟の商人菊池半兵衛筆「時運豊凶善悪記」(2) | ||
市史編さん日誌(8) | ||
第九号 | 常陸五山の縁起と徳川光圀-華園山縁起をめぐって- | 志田諄一 |
[史料紹介]江戸後期における窮民救済活動の一例 | 江尻光昭 | |
[新指定文化材紹介]東林寺薬師堂薬師如来像について | 後藤道雄 | |
政治結社・磯原青壮連盟 | 鳥居俊夫 | |
北茨城市塙台遺跡出土の土器 | 瓦吹 堅 | |
長崎行の人々 | 小松徳年 | |
湯之網城跡調査報告 | 加藤光雄 有賀博幸 |
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[史料紹介]平潟の商人菊池半兵衛筆「時運豊凶善悪記」(3) | ||
第十号 | 「北茨城市史」回顧 | 瀬谷義彦 |
古代の常陸国の関 | 志田諄一 | |
望郷漫筆 | 鈴木俊平 | |
篆刻・鋳銅印で知られた野口北水 | 江尻光昭 | |
近世上相田村の財政運用について | 野上 平 | |
北茨城の社会人野球小史 | 鳥居俊夫 | |
茨城の銅鋺について-北茨城市尾形山横穴郡出土資料を中心として- | 瓦吹 堅 | |
北茨城市域塙代官所支配の村むら-天保期を中心にして- | 橘 松寿 | |
西丸帯刀研究覚書(3) | 宮澤正純 | |
平袖の適討 | 小松徳年 | |
故滝けん輔先生を偲ぶ | 大友 章 | |
リウガイ古屋敷跡調査報告 | 加藤光雄 有賀博幸 |
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[史料紹介]安永3年福田村関本上村差出帳、慶應元年関本上村指出帳 | ||
「鈴木貞八日記帳」より | ||
『北茨城市市壇』総目次 | ||
第十一号 | 花園山行人案内記について | 志田諄一 |
漢詩に見る徳川光圀の北茨城地方遊歴 | 大森林造 | |
雨情の俳句 | 野口不二子 | |
『新制中学校の創立過程』-北茨城市立常北中学校の例- | 鳥居俊夫 | |
妙林山正行院観音寺の棟札 | 瓦吹 堅 | |
大津古事考 | 才丸哲三 | |
再考、塩の道 その街道とロマン | 佐藤留雄 | |
平潟散歩 | ||
[史料紹介]「鈴木貞八日記」より(2) | ||
第十二号 | 大窪詩仏ゆかりの碑について | 大森林造 |
雨情と啄木 北辺の記者時代の足跡をめぐりて(上) -主として啄木の閲歴を通して- |
清水常光 | |
[研究ノート]水戸藩の「天狗達」を追って | 宮澤正純 | |
北茨城市内古墳及び横穴墓出土の新資料 | 瓦吹 堅 | |
日記に見る野口勝一の官吏感 | 安 典久 | |
近世末期の豊田村 | 加藤光雄 | |
[史料紹介]平潟の豪商安満屋半兵衛の「商業之論」 | 小松徳年 | |
『北茨城市史 別巻3 石炭史料i』補遺 |